「委ねること」
2012年07月15日
第二テモテ2:1〜2
第二テモテの手紙は使徒パウロがローマの獄中から書いた手紙の中で、最後のものではなかったかと言われています。身は不自由な囚われの状態でも、彼の心には真の自由がありました。ピリピ人への手紙の中で次のように言っています。「何も思いわずらわないで、あらゆる場合に、感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安があなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(4:6〜7)
パウロはすべてのことを神に任せて、自分の走るべき行程を走り通しました。いろいろな試練や困難に何度も直面しました。しかし、彼はそのような時に、決して諦めることなく、聖霊の導きに従って行動しました。
パウロがアジアのルステラ、イコニウム地方で伝道した時、ユダヤ人たちの激しい攻撃を受けて石で打たれて半殺しの状態になり、町の外にひきづり出されました。しかし弟子たちがパウロを取り囲んでいますと、彼は立ち上がって町に入って行きました。パウロはバルナバと一緒にデルべに向かい、それからルステラとイコニウムとアンテオケに引き返して弟子たちの心を強めてこういいました。「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と。
テモテは父がギリシャ人で祖母ロイスと母ユニケはともにユダヤ人で、すでにクリスチャンになっていました。テモテは幼い時から福音に触れていました。ですから、パウロが人々から迫害され、苦しめられているのを見たときに、自分もあのようなクリスチャンになりたいと、献身しました。おそらく17才頃と思われています。彼の献身は計算済みの献身でした。もしも、主の弟子になるならば、パウロが石打で殺されるように、自分も殺されるかも知れない。パウロが「神の国に入るのには多くのく苦しみを経なければならない」言いましたように、テモテは献身すれば自分も殺されるかも知れない、という状況で主に従いました。ですからパウロはこの弟子のテモテを非常に感謝しつつ用いました。
使徒パウロはこの若いテモテに信頼し、彼をパウロの代わりにピリピやエペソの教会に遣わして牧会にあたらせました。特にこのテモテに宛てられた第一、第二の手紙は「牧会書簡」と言われているゆえんです。
今日はその中で、1節、2節を中心に学びます。
「わが子よ」と呼びかけています。パウロは独身でしたから、こどもはいませんでした。ここで、子という意味は霊的に自分が産んだ子、つまり、パウロが養い育てた子という意味であります。パウロは全面的に彼を信頼し、委ねることができました。信仰継承としい言葉がありますが、実際に自分の子どもたちに信仰を継承することは非常に大切で神が喜ばれることです。しかし、自分が伝道して救われた人をずっと面倒を見て、一人前に育てることも非常に大切です。もちろん、弟子であっても、それはキリストの弟子です。その霊のこどもであるテモテに対して、「キリスト・イエスにある恵みによって強くされなさい」と勧めています。この意味について考えてみましょう。私たちは自分の力で何かをするのではなく、イエス様を信じて聖霊に満たされて、成長させていただけます。
恵が先行しています。自分で頑張って何かを成し遂げようとしますが、イエス様から力をもらってさせていただくのです。強いという意味は、肉体的にということではなく、たとえば忍耐ということにしても、これまでできなかったようなこと、人から何かを言われるとすぐカット来るとか、悪く思うとか自分でも意識していないのに相手に対していやな思いをさせるとか、キリスト者として、あるべき状態に成長することが大切と思います。神様からの恵みを受けて成長するようになります。
次に「多くの証人の前で私から聞いたこと、すなわち、福音の真理を他の人にも教える力のある人を選んで委ねるということです。誰でもいいのではありません。霊的に敏感な人と鈍い人がいまするそれを見分ける必要があります。熱心でもバランスの崩れている人は人から信頼されません。小さなことに忠実な人は大きなことにも忠実である、と主イエス様は言われました。よく人を観察する必要があります。最も大切なことをお願いする場合にはそのひとをよく見分けなければなりません。ここでは、他の人に教える力のある人、と限定されています。
それはある意味では賜物のことでしょうか。神の召しに対して、テモテのように、忠実な人を選んで委ねるということです。ですから、ある程度時間がかかります。
たとえば、献身して神学校に行きたいという人がいました。しかし、その人は家族対しては全く証をしていませんでした。それで、私は神学校に推薦しませんでした。彼は東京に出てきて友達のバイクを無断で乗り回して事故を起こしてしまいました。こんな人を神学校に推薦できるでしょうか。
原則として、個人伝道ができない人を神学校に送った場合、悲劇が起こります。実際に私はこれも経験しました。ここで教わる原則を守ることがいかに大切かを学ばされました。
エルサレム教会で最初の執事が選ばれましたが、ペテロによって条件が付けられました。それは「御霊と知恵とに満ちた評判の良い人」ということでした。誰でもいいのではありません。
結論
今日、ここから何を学ぶでしょうか。パウロは若いテモテに対して大切な原則を教えています。テモテに対しては「わが子」と呼んで、自分に与えられているすべてのものを与えて惜しくない、霊の子どもです。親が子供に最良のものを与えたいと思うように、テモテにパウロは与えました。信仰の継承をしています。そして、キリストの恵みによって強くなりなさい、と勧め、さらに、他の人にも教える力のある人を選んで、福音を委ねなさいと勧めています。その人に委ねるのです。